不動産コンサルタント 大野レポート No.16
タカラ塾
2009年9月29日
『上町台地を歩く、歴史から学ぶこと…2つの素朴な疑問』
3年前から、10年以上続いている異業種交流会の1泊研修旅行(1昨年は、河内の竹之内街道を歩き、昨年は、奈良の葛城古道をあるきました。)で、9月22日~23日と2日間で大阪市内上町台地を約10キロ以上4万歩を歩きました。
22日は、天満橋の八軒家浜から大阪城→市立博物館→難波宮跡→玉造稲荷神社→三光神社→真田山陸軍墓地 そして23日は、井原西鶴の墓地と近松門左衛門の墓地→高津宮→生國魂神社→天王寺七坂(途中、愛染堂、大江神社、清水寺)→安居神社→ 一心寺→天王寺公園(慶沢園散策)→通天閣の串かつ屋にて会食後、解散というコースでした。久しぶりに2日間たっぷり歩いたのでさすがに疲れましたが、心地よい疲れと達成感で満たされました。
何回か歩いたコースですが今回じっくりと2日かけて歩いたことによって、上町台地の地形そして、古代からこの辺りが歴史的な遺産の地域であることを実感しました。1,000年の都市空間《水都…東洋のベネティア、政都…難波宮、商都…大大阪時代、軍都…大阪砲兵工廠、仏都…本願寺(秀吉時代に徹底的に破壊された)筆頭に現在も残る膨大なる寺院郡》であるという歴史的事実の重さに感銘すら覚えました。
特に240箇所もこの台地に集中し存在するお寺の数々(日蓮宗、浄土宗、禅宗他)は、日本全国でも群を抜いており、考えさせる重要な点であると感じました。残念ながら、マスメディア的には、現在の大阪は吉本のお笑いとたこ焼き等に象徴される存在に成り下がっており、足元の貴重な文化遺産に対する認識レベルの低さには驚かされるばかりです。
今回は、2つの素朴な疑問を感じました。一つ目は、市内の中心部にある谷町筋に面して、国指定史跡として近松門左衛門(日本のシェークスピアともいわれる、百作を超える浄瑠璃本を著す一方「曽根崎心中」他有名な作品を残した。)の墓(大阪市建立)が、わずか1mあまりの間口を3m入ったところの猫の額のようなわずか約2坪程度の墓であったことです。関東方面から来られた観光客は、この近松の墓を見れらたときに、あまりにものお粗末さにびっくりされるそうです。
もうひとつの疑問は、真田山陸軍墓地を訪れたときの感想です。約1時間30分にわたり、この墓地を管理清掃をされていますNPO法人の担当者(地域の町内会長)の説明を受けました。1945年8月15日、日本が敗戦した後、日本全国に80箇所あった陸軍墓地はGHQの指令もあり、陸軍及び全軍隊の武装解除に伴ない、こういった墓地は放置されたようです。
その後、この陸軍墓地は国から大阪市に無償で貸与され地元の町会が清掃管理を行っています。明治4年に日本で最初にこの真田山陸軍墓地が設置され、いまも国内最大規模のまま残っています。西南戦争での戦病死者、軍役夫や兵卒の墓。階級による墓の大きさの違い、外国人俘虜の墓、B29搭乗員の処刑場、4万ともいわれている遺骨が納められている納骨堂、野田村遺族会が建てた墓。ここには大切な要素がたくさんつまっている。
この墓地を見れば、どれだけの言葉で歴史を語ろうとも、きれいな建物の中でどれだけたくさんの史料を展示しようとも、そんなものはすべてふっとんでしまう。敷地の外へ一歩出ると、そこにはもう私たちの日常生活があった。
この落差を思うとき、過去日本が行ってきた戦争やその犠牲者(これだけの夥しい日本人の犠牲者とそれ以上のアジアの人々の犠牲者)のことを通じてしか、そこのところを通してしか平和は語れないし、平和を守ることはできないと強く感じました。あまりも重たい歴史的テーマに数日、心は空白放心状態でした。そのような歴史的な意味での保存を強く望みます。
タカラ塾塾長 大野 哲弘